この連載では無職である筆者(以下私)が某トップ企業(医療機器メーカー国内市場2番手の企業)に合格するまでの道のりを振り返り、ポイントをまとめていきます。この記事を読んでくれている方の希望になれればと思います。
無職になる前は研究者志望の大学院生
私は大学院修士課程まで進んでいました。元々研究者になろうと考えていましたが、研究の厳しさに直面しました。詳しくは別記事にまとめますが、4年間の研究生活を通じて感じた結論は「研究者に向いているのは本当に研究を心から楽しめる人だけ。私は向いてないから諦めた方がいいのでは?」でした。

博士課程進学に失敗:2/1(修了(大学院の卒業)の2か月前)
博士課程の願書を出し忘れたのが、進路変更の最大の引き金でした(←人生最大のミスであり、人生最大のラッキー?詳しくはこちらの記事で…
当時は「来年度の博士課程進学をする」か「企業就職に切り替える」かで悩んでおり、パートナー、親、先輩、友達などたくさんの方に電話をかけまくりました。振り返るとこの時たくさんの人から進路のアドバイスをもらえたことで、素早く次の行動に移れたと思います。
企業就職を決意:2/5
たくさんの方に、相談しましたが、最後はパートナーの一言で企業就職に心が決まりました。
元々研究者になりたかったのは、大発明をしてたくさんの人の役に立ちたかったからでしょ?それなら社会貢献できる企業で働けばいいんじゃないかな?医療分野のメーカーに就職するのなんてどうかな?
何十時間も悶々と進路を悩んでいましたが、パートナーの一言で「企業就職しかない!」と直感しました。何が何でも企業就職してやると決意した瞬間でした。人生で一度もしたことのない”就職活動”の始まりでした。

修士論文の提出までの期間:2月下旬まで
大学院を修了するために、修士論文を提出する必要がありました。それが2月下旬まで。2月中は1日4時間を修士論文に費やし、残りの時間を就職活動にあてていました。具体的な就職活動は次の記事にて。
まずは研究室の指導教授と担当助教に進路変更したことを伝えました(おっかない先生だったので、ある意味この時が最難関)。先に担当助教に伝え、「君が決めた進路なら応援するよ」と言ってくれました。次に日をあけて指導教授のもとへ向かうと「噂でもう聞いているよ」と向こうから進路について切り出してくれ、1時間ほど懇談しました。
私が「長時間実験をしたり、アイディアを創造したりするような研究者になれる自信がありません。就職活動に切り替えます。」というと
先生は「研究者と言っても手を動かすだけが仕事じゃないんだよ。研究室のトップになったら予算を獲得することの方が比重が大きくなる。博士号を取った後、国際機関、シンクタンク、公務員、コンサルに進むこともできるよ」と。
さらに「研究者になったら自分の仕事は自分で決められる。裁量があって責任も伴うけど自由なんだ。その点会社員はトップにならないと自由はない。それでもいいのか。」とも言われました。
結局先生は「君の進路変更の意思は固いようだから応援するよ」と言ってくれ、無事、進路変更することとなりました。しかし、先生の言っていた、『会社員は自由がない』という言葉だけがいつまでの気になり続けていました。会社員でも自由に働くことができるんだということを私の残りの人生で証明したいと思います。

学会発表と卒業式
そのあと学会発表を3月下旬に控えていたので、それまで2か月間、1,2週間に一回のペースで学会発表練習をしました。バタバタで進路を変えたので、研究室内部に私が大学を離れると知らない人も多く、お別れも言えない方もいました(40人と大規模の研究室であるため)。卒業式を迎え、私はついに無職・ひもニートになりました(妻は2年前から社会人)。大事なことだからと、バイトもせず就職活動に専念させてくれた妻に本当に感謝です。必ず将来恩返しをします。
具体的な就職活動は次の記事にて
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